「北九州の醬油ラーメン らーめん志士」でございます。
今回のテーマは「車輪の再発明について独学ラーメン屋が考える」です。
皆さんは「車輪の再発明」という言葉をご存知でしょうか?
「車輪の再発明」とは「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句(Wikipediaより)です。
平たく言うと「昔からあるものなのに、知ってんのか知らないのか分かんないけど、また一から作ろうとしてやがる。なんて非合理的なおバカなヤツなんだwww」と言っているわけです(そこまでは言ってない)。
つまり先人の発明や知恵を知ったうえで、それを土台にしてその先を発明していった方が合理的でありもっと進んだ発明に辿り着けるので、その方がいいんじゃないの?ということですね。
知識と経験がゼロで完全独学でラーメン屋になった志士は、車輪を再発明しまくってきました。
というわけで、車輪を再発明しまくった志士が「車輪の再発明」というものについて考えていきたいと思います。
よろしければお付き合い下さいませ。
車輪の再発明のデメリット
改めまして、完全独学でラーメンの研究を行ったばっかりに完成まで5年以上かかってしまったことでおなじみの「らーめん志士」でございます。
詳しくは(らーめん志士の物語 第四話 苦難の独学修行の果てに をご覧ください。)
そんな志士ですから「車輪の再発明」のことは酸いも甘いも味わい尽くしております。
まず「車輪の再発明」のデメリットのお話をさせて頂きます。
デメリットとしては「とにかく時間と労力が無駄にかかり過ぎる!効率がメチャクチャ悪い!」ということに尽きます。
悪いことは言いません。ラーメン屋に限らずですが独立開業しようと思っている方。いや、会社勤めの方でも、学生さんでも、どなた様でも!
手に入る知識は出来るだけ手に入れましょう!
先人の知識と経験や知恵を聞けるなら出来る限り聞きましょう!
*知識と経験の話はこちらもご参照ください。(「知識」と「経験」について考える)
単純に知識があればメチャクチャ得ですし、無かったらメチャクチャ損します。
先人の話を聞くのは、一見役に立たなかったり、うざかったり、全く共感出来ない話だったり、と億劫になる気持ちは痛いほど分かります。
しかし、どんな自分の考えと合わない話だとしても知らないよりは知った方が良いのです。
知らないよりかは何かの役に立つし、「こんな風に考える人もいるんだ」と自分の幅が広がります。
志士もラーメンの作り方を教わる人がいれば、絶対に5年もかからずにラーメンが完成していたでしょう。(その期間のほとんどは車輪の再発明の時間でした・・)
一言でいうと、単純にもったいないということです!
車輪の再発明のメリット
では逆に「車輪の再発明」にメリットはあるのでしょうか?
一見無さそうな気もしますが、実は無いこともなかったりします。
メリットとは
- 何もないところから自分の力で一から作り上げるので完成した時の達成感が大きい。
- 全ての工程を自分で経験しているので、トラブルへの対応や修正に強い。
の2点が挙げられます。
何もないところから自分の力で一から作り上げるので完成した時の達成感が大きい
「らーめん志士のラーメンは自分の作品です」と志士は何の後ろめたさも持たずに断言することができます。
なぜなら本当に一から全て自分が試行錯誤を重ねて創り上げたラーメンだからです。
苦労した分、愛着もあるし達成感もあります。そして自分の自信にもつながっています。
(別に修行して教わった人のラーメンがその人のラーメンでは無いなんて言うつもりは一ミリもありません。念の為。)
紆余曲折あって苦労して辿り着く場所っていうのは、思い出深いし楽しかったりもしますよね。
あと、単純に後々の話のネタになったりもします笑。
全ての工程を自分で経験しているので、トラブルへの対応や修正に強い。
全てを一から自分で経験して創り上げたということは、時として非常に強いことだったりします。
志士はこんな経験がありました。
志士のラーメンの味の決め手としてスープはもちろんですが「タレ」の存在がメチャクチャ重要です。
タレが少し変わると味が全く違ってきます。
ある意味、スープよりタレの方が味にもたらす影響は大きいと言えるかもしれません。
ある時、タレに使用している醬油がメーカーの都合でモデルチェンジするということがありました。
これは結構大変なことで、「これでは志士のラーメンが作れなくなってしまう」と困り果ててしまいました。
醬油が変われば全然違う味になってしまうので、なんとか元のラーメンと同じ味に近づけようと試行錯誤しました。
その際にやはりかつて試行錯誤した経験が財産となっており、「これをもう少し増やせばこうなるな」とか「これをこう変えてみたら近づきそうだな」とかが感覚的に感じられました。
そして試行錯誤の末、元のラーメンに限りなく近いものを提供出来る様になりました(お客さんから気付かれることもありませんでした)。
実は何度かこういうケースがあったのですが、その都度なんとか乗り越えることが出来ました。
これが作り方を教わったものを作っていたら、もっと修正や対処に苦労していたと思います。
そういう意味では「車輪の再発明」をやった者の強みと言えるかもしれません。
人生に無駄な経験などない!という言葉を実感する次第です。
結論:車輪の再発明との向き合い方は
さてさて、これまで「車輪の再発明」におけるメリットデメリットを考えてきましたが、結局のところどうすればいいのかということを考えていきたいと思います。
志士が考える大前提としては「先人の知識と経験は可能な限り学ぶべきである」と思います。
先人の築いてきたものを土台にして、その先の新たな発明を築いていくことで人類は進歩し発展してきたわけです。
学問も文化もスポーツも演芸も、全てそうやって進歩しレベルアップしてきました。
未来に進むのに過去を学ぶことは最も大切であり合理的であると思います。
しかし、もう一つとても大切なことがあります。
「発明済みの車輪をただ使えるというだけではなく、車輪の原理と作り方は知っておいた方が良い」ということです。
ちょっとわかりにくいですよね?
たとえ話で具体的な例を挙げてみます。
志士のラーメンのレシピを弟子の方に伝承して完全に作れるようになったとしましょう。
ただ、その弟子の方はレシピに忠実に作れるようにはなったものの「なぜそのレシピでこの味になるのか?」ということが分かっていません。
そうすると味の改良・修正をおこなう際に「何をどういじったらどうなるのか?」ということが分からないと思うのです。
レシピを伝承するだけではなく「このレシピはどういう原理で成り立っているのか」を自分で理解することがとても大切だと思います。
伝承したレシピを自分なりに材料を足したり引いたりしてみて、どの材料がどんな役割を果たしているのかを検証してみる。
そうやって原理を知っておいた方が絶対にいいです。
そうすればわざわざ再発明しなくても、完全に自分のものにすることが出来ると思います。
結論をまとめますね。
先人が発明した車輪は可能な限り学んで利用した方が良い。
ただし、ただ利用するだけではなく原理を理解して自分のものとしなければいけない。
そうすることによって、変化に対応することも出来るし、更に次の段階に進歩することも出来る。
ということだと思います。
どなたかの何かの参考になれば幸いです。
長々と失礼しました。
人の言う事など全く聞かないダメ男の「らーめん志士」でございました。
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