第六話 そして幕が上がる 

夜だけの兼業ラーメン屋とは言え遂に開業まで辿り着いた志士。
初めての店での仕込みに悪戦苦闘。
それもそのはずで、飲食業未経験で今まで自宅で家族分のラーメンをチマチマ作った経験しかないのだから。
初めて業務用の量の仕込みをするわけだからもうどうしていいか分からない状態だ。
どれくらいの量を用意したらいいのかも見当がつかない。

「オープン初日はお客さんが殺到するらしい」という話を聞いた志士は、足りなくなってはいけないのでとにかく出来るだけ多く用意しなければと考えた。
結局スープは100杯以上、ご飯も2升ほど炊いてオープンに備えた。

そうして遂に迎えたオープン初日。
志士も女将も緊張と喜びの中で張り切って開店したのだが・・

結果は来客数ひとケタという大爆死の寂しすぎるスタートとなった。

100杯のスープを用意してのこの結果はなかなかキツイものがあったが、今思えば当たり前だ。
人通りも少ない通りで宣伝もなくひっそりとオープンしてなんでお客さんが殺到するんだよ!と当時の自分に盛大にツッコミを入れてあげたい。
しかももしお客さんが殺到したとして5坪しかない7人しか入れない店でどうやって100杯も売るんだよ!
お前にそんな数のお客さんを捌けるわけないだろ!このど素人が!と、ど突き回してやりたい。
(本当に何も知らないというのは恐ろしいものだ・・・)

そんなスタートを切った「らーめん志士」の苦戦は続いた。
お客さんが来てくれない。ひとケタの来客数という日がザラであった。
人通りも無いところで夜しか開いてないのだから無理もない話だが・・・

営業の苦戦も辛いのだが、体力的にも大変であった。
昼は会社で働きながら、夜に大急ぎで開店し夜中まで店にいるという生活だから本当に寝る時間がない。
残業が出来ない分早くに会社に行ったりだから尚更だった。
女将が「もう倒れるんじゃないか」といつも心配してくれていた。

そんな生活が半年ほど続いた頃、親が会社を辞めてラーメン屋一本でやっていくことを認めてくれた。
女将が「このままやったらこの人死んでしまう」と訴えてくれたこともあるし、親も見ていて志士の本気度を分かってくれたのだろう。

当初の目論見通りに「結果を出して認めさせてやる」という程の結果は出せていなかったが、これで会社を辞めて本当の意味でのラーメン屋としてやっていくことが決まった。

実家の家業を放り出してしまうという申し訳なさもあったし、色々な人に迷惑をかけてしまった。
自分の勝手な行動で本当に心苦しい思いもあったが、もう後戻りは出来ない。
本当の意味でラーメン一本で生きていかなければならないのだ。
この生存率一割という厳しすぎる世界で。
まだ結果も出せていないし。
果たして生き抜いていけるのだろうかと不安が襲ってくる。

2009年11月11日。

「北九州の醬油ラーメン らーめん志士」が本当の意味でラーメン屋になった。

絶対に負けられない戦いの幕が上がった。



第七話 苦闘の中の光 に続く

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